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理事長・学校長挨拶
就任挨拶(2000年)

学校長高橋邦夫

校長 高橋 邦夫 第5代校長 理学博士

  創立以来113年目を迎えた伝統ある東金女子高等学校の第5代校長として、創立者高橋あい先生と歴代の校長 先生が築かれた美しき伝統を受け継ぐとともに、21世紀に向けた教育学習体制の整備と学園の発展を図るという重責を担うこととなりました。若輩ゆえ経験の浅さは自ら補うことになります。31年間校長職にあり、高い識見のもとで本校の運営にあたられてきた高橋美光理事長先生の御指導と、教職員生徒の皆さんの厚いご協力と、職責を果たすための助力を期待して任務にあたる決意をいたしました。教育学習の情熱意欲を新たにし、教育目的の達成向上と学校の発展に邁進してまいります。

 

 特に歴代校長が熱意を注がれてきた本校創立以来の母性・人間性向上の理想をさらに高く広く発展させるとともに、前校長のもとで発展された全国最先端の情報教育や色彩教育、国際教育を今後も強力に推進していく所存です。

 

 社会情勢に呼応して学校として取り組まなければならない課題も多く、歴代校長が経験したような幾多の苦難や困難もまた予想されます。しかし前校長と同じく私も、その困難に果敢に立ち向かい、最後には困難に打ち勝つ者でありたいと思います。無限の可能性を秘めた次代を担う若者を守り育てるという教育の高邁な理想は、挑む価値のある崇高な職務です。自らを磨き高め、職責にふさわしい資質能力の向上にも努めたいと思います。

 

 教育には維持と進歩の二つの側面があります。人間として備えるべき根源的な素養や人間性に関する教育内容は、時代が移っても変わりませんが、知識や技能面では、社会の変化に対応した教育内容の進化が求められます。社会環境変化の著しい現代は、伝統の基礎の上に斬新な教育学習活動を展開してきた本校の特色が最大限に発揮される時代です。全体としての学校の姿は常に進化していくべきものであり、伝統とは数々の新しい取り組みの中で良いものが残され積み上げられることで築かれるものです。次代の社会を築く若者にふさわしい教育を展開する場として、教職員、生徒、そして保護者の皆さまとともに、一丸となって新たな学校の姿を築いて行きたいと思います。

創立120周年の歴史(2007年)

120周年エンブレム校長 高橋 邦夫 第5代校長 理学博士 

 平成19年2月1日に本校は創立120周年を迎えた。1887年(明治20 年)に創立者高橋あい先生が「裁縫技芸塾」として開校したのが本校の始まりである。裁縫ばかりでなく,修身や礼儀作法などの教育にも取り組んだ。理論を重視した指導法を取り入れ,教育水準の高さが評判を呼んだという。1903 年(明治36 年)には女学校として知事の認可を受け,地域女子教育の最高学府となった。その後,1931 年(昭和6年)に文部大臣の認可を受けて甲種実業学校に昇格した。太平洋戦争をはさんで,農業学校と名前を変え,食糧生産に貢献するとともに,校内に軍服の縫製工場を設けた時代もあった。ほかの学校では学徒動員により東京や横浜の軍需工場に生徒が動員され,中には空襲で命を落とした例もあったらしいが,農業学校と名前を変えた本校の生徒は,動員を免れることができ,ただ一人も犠牲にならなかったという。戦後は学制改革を経て,「東金女子高等学校」という名称で高等学校教育に従事してきた。  「美しき母性の創造」という建学の精神のもとで,113 年間にわたって女子教育に取り組んできた歴史に大きな転換がなされたのは2000 年(平成12 年)である。男女共学化をして千葉学芸高等学校に名称変更し,建学の精神「創造」のもとで21 世紀に対応する新しい学校づくりに取り組むこととなった。「学芸」の名は,創立時の学問と技芸を重んじる校風に由来して名づけたものである。創立以来1世紀を越えて,時代の変化を見ながら次の100 年を展望したとき,遅かれ早かれ女子高校から男女共学への転換が必然と考えられた。ひとつの時代の移り変わりを象徴するミレニアムの年は,新生・千葉学芸高等学校としてスタートする好機であった。初年度には63%の男子生徒を迎え,その後の7年間もほぼ65 対35 の男子・女子の比率で推移している。挨拶などの礼儀を重視する一方,進学・情報・国際・福祉・芸能の普通科コース制のもとで新世紀の教育を展開している。  本校の120 年間にわたる歴史は,すなわち試行錯誤の歴史でもあった。女子教育に先鞭を付けた創立期に始まり,技能教育や特性重視の教育への取り組み,生徒海外研修の実施,コンピュータの教育利用やインターネットの活用,福祉教育や芸能教育など,常に時代の最先端の教育に取り組んできたのが本校の歴史である。新しいものに挑戦し,うまくいかなければ,別の方法を試す。成功したものだけが残されて,良い伝統の一部となり,また改良されていくのである。伝統は決して不可侵のものではなく,連綿と続けられた試行錯誤の成果の集積こそが伝統なのである。このチャレンジ精神が,教育に求められる不易と流行の両面を兼ね備えた本校の力強い校風を形作っていると思われる。  120 年の歴史はまた,多くの人々の応援を受け,お世話になって築かれてきたものである。この間に多くの私塾や私立学校が存在したが,その多くは経営の失敗や財政難から,統廃合されて消えていったそうである。本校の現在の姿があるのは,特に卒業生たち,そして歴代の教職員たちの努力があってこそであろう。先人の労苦を称え,お世話になった方々に深く感謝するとともに,永遠の生命を持つ学校として歴史を継承していく重みをかみしめた創立記念日であった。

 

125年のチャレンジ(2012年)

理事長・校長 高橋 邦夫 第5代校長 理学博士

 本校創立125周年を迎えることができたことは,大勢の皆様方の御厚情の賜ものであり,深く感謝申し上げる。  1887年(明治20年)2月1日,現在地に故高橋あい先生が「裁縫技芸塾」を開校したのが本校の始まりである。それから明治・大正・昭和・平成の激動の時代を乗り越え,貧困や存亡の危機をしのいできた。西暦2000年には、21世紀を展望し、男女共学化をした。「学芸」の名は、創立時の学問と技芸を重んじる校風に由来する。  本校の125年間は、女子教育に先鞭を付けた創立期に始まり、技能教育や特性重視の教育、国際、情報、福祉、芸能教育など、常に時代の最先端の教育に取り組んできた試行錯誤の歴史である。新しいものに挑戦し、うまくいかないものは別の方法を試す。成功したものだけが残され、伝統の一部となる。伝統は不可侵でなく、連綿と続けられた試行錯誤の成果の集積こそが伝統なのである。このチャレンジ精神が、教育に求められる不易と流行の両面を兼ね備えた本校の力強い校風を形作っている。  現在の教育界にあって本校の存在は小さいかもしれないが,県下の高校教育の先駆者という意識と,「創造」という建学の精神のもとに,13,283名の卒業生に見守られ,また,大勢の人々の御支援をいただきながら,着実に向上への歩みを続けてきた。  生徒減少期を迎えて私学経営の道は険しく,そして,果てしなく遠い。125年の歴史は,新たに「これからの125年」への責務となっている。この式典にあたって,大勢の人々から御祝福と励ましのお言葉をいただいた。私たちは,このお言葉を新しいエネルギーとして,さらに,前進することをお誓いする。

激動のなかで

故 学園長 高橋 美光 第4代校長 1998年藍綬褒章受章 2004年瑞宝小授章受章

 現在地で125年前に「裁縫技芸塾」を開校した時は,30名くらいの生徒で,2年間和裁,洋裁,手芸,礼儀作法等を教えていたそうです。創立者の高橋あい先生は,特に礼儀・作法を重んじて,厳しく家庭婦人の育成を目指して教育されておりました。そして,1903年(明治36年)7月に千葉県知事から認可されて,「東金裁縫女学校」として新しいスタートをすることになったのです。  大正天皇が崩御されて御大喪の時には,中等学校長として生徒と一緒に作った大礼服を着て参列されました。これはたいへん名誉なことであったそうです。  明治・大正・昭和・平成と年号が変わりました。校名もこれまで9回も変わっております。太平洋戦争のときには,「農業学校」という名前の時がありました。戦争が激しくなり,物資が不足し,食料増産が叫ばれたのです。毎日午後の授業は勤労奉仕として,鍬や鎌を持って荒れ地や山林を開墾して,芋や大豆,かぼちゃなどを生産しておりました。さらに,戦争の激化とともに校内に電動ミシンが設置されて,軍服の縫製作業が行われました。学校にはいつも40?50名の兵隊が泊っていて,アメリカ軍の九十九里上陸作戦に備えておりました。ほかの学校では,学徒動員がされて東京や横浜の軍需工場で働かされました。なかには空襲で死んだ生徒もあったそうです。本校の生徒が戦争の犠牲にならなかったのは,農業学校と名前を変え,食料増産や軍服縫製に従事したからだと思います。  本校の歩みは,まさに激動の時代でありました。多くの学校が統廃合されましたが,本校は創立以来の形態と伝統を保って存在しております。資金があれば校舎やグランドを立派なものにすることができます。しかし,お金で歴史は買えません。大勢の生徒が学び,懸命に汗を流し,数々の感動を記録し続けた学校です。  125年という新しいスタートにあたって,皆さま方のご支援とご協力をいただきながら,更なる学園の繁栄を願うものです。